こんにちは、会員のゆきのです。
わたしは生まれつき目がわるく、2歳からメガネをかけています。 そして、同じ年ごろになった我が息子にも、どうやら同じ病気がある模様。 それを知って、わたしの心は暗くなりました。 このコンプレックスを息子にも背負わせることになるなんて……!
幼稚園児のころ、わたしは自分のことを「クラスで一番かわいくない」と信じていました。 その理由は、メガネをかけているうえに、クラスで一番背が高いから。 親も祖父母も「かわいい」と褒めるのは2歳下の弟ばかりだし、お遊戯会では名も知れない端役ばかり。 アニメや絵本に出てくる可愛い主人公は、いつだって中ぐらいか低めの背丈だし、メガネをかけてなんかいない。
誰よりもかわいくないわたしは、それゆえに誰からも愛されないのだと思い込んでいました。 ママも、パパも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、幼稚園の先生も。かわいくないわたしに、興味なんてない。
実際は、どうだったのでしょう。 わたしの両親も祖父母も、子どもの気持ちに寄り添って言葉をかけるようなタイプではありません。 また、幼稚園はひとりの先生がたくさんの園児を受け持っており、おとなしくて目立たないわたしは、先生と関わる機会がめったになかったと記憶しています。
関わる大人の誰しもに、幼いわたしへの愛がなかったわけでも、興味がなかったわけでもないと、今なら言えます。わたしは適切な環境で育てられ、こうして大人になったのですから。 ただ、いつだって手が届かなかったのです。望んでやまない「かわいいね」という言葉に。 ほかの子がその言葉を受け取る場面に出会うたび、わたしは思い込みを強めていきました。
『かわいくないわたしは、愛されない』
息子がメガネをかけるかもしれない、と知って暗くなったわたしの心は、その思い込みに支配されていました。 息子の気持ちなんてお構いなしに、自分の痛みを彼に投影していました。 そう考え、感じることが、まるで世間一般の常識かのように。
『小さなころからメガネをかけるということは、容姿にコンプレックスを抱いて、自分が愛されない存在だと思って苦しむに違いない……!』
どんな姿であろうと、息子はわたしにとって何より愛おしくて大切な存在。 それを言葉でも態度でも伝えつづけることに、メガネの有無は関係ありません。
でも、落ち込んだ心の奥にはたしかに、こんな決めつけがありました。自分にとってはごくごく自然な形で、小さなころからの痛みと思い込みが、深く根付いていました。
エンパシーの知識と体験は、これらを紐解くための視点をくれました。 すべて解き明かせた今ならば、わだかまりのない気持ちで、小さなころの自分の写真をみることができるでしょう。
そのすっきりした気持ちは、メガネをかけた息子を受け入れるときに、どんな言葉よりも説得力を生むはずです。
(筆者/深水ゆき乃)
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