top of page
執筆者の写真エンパシー協会 日本

共感コラム「認定講師紹介イベントを終えて感じたこと」

こんにちは。エンパシー協会認定講師オダギリです。

10月26日(水)は、エンパシー協会認定講師紹介イベントに私が出た日でした。   多くの選択肢がある中で私が選択したのは、せっちゃんとの対談。 計画をしてイベントを終えるまでに感じたこと、そしてイベントを終えた今感じていることをシェアさせていただきますね。

1 イベントの計画~イベントを終えた時までに受け取っていたこと

① 私が知らないところで準備をしてくれていた仲間の存在 ② 私と対談して私の深い部分にエンパシーを向けてくれたせっちゃん ③ 出入り自由なのにほとんどの方が最初から最後まで聞いてくれたこと ④ 対談を聴いてくれて勇気を出してフィードバックをしてくれた方達の存在 ⑤ 対談に耳を傾け心で受け止め、頭の理解を越えて魂が震えたと伝えてくれた仲間 ⑥ 対談を終えてその気づきをシェアしてみたらと言ってくれた仲間

2 今感じていること  

⑴ 取り引きでは起こらない心の動き  日常生活では、「私が〇〇したのだからあなたは〇〇をして、あなたが〇〇してくれたから私は〇〇をするよ。」と、こんな足し算や引き算で表される動きを耳にしますが、イベント全体を通して感じたのは、「条件をやりとりする取り引きなんかじゃなく、それぞれの人の内面の動き、相手がなぜそこに至ったのかという動機と起点に意識を向けたときに、留まっていた命のエネルギーが動くのではないのかっていうこと。

⑵ 人はひとりで生きているんじゃないということ。  私ひとりじゃ全く成り立たなかったけど、それぞれの関係性があり、更に全体としての関係性もあって今が在ります。 だから、相手から「受け取る」とか「〇〇してもらったのだから受け取らなければならない」のではなく、「ああ、こんなに在るものに溢れているんだ。既に受け取っている状態にあるんだ」ということに気づき、本当に感謝しかないし、私は幸せだな~って思いました。 繰り返しになりますが、条件付けの上で受け取っているのではなく、私が存在していること自体が受け取っている状態なんだということ。 今の私の関係性で完結しているのではなく、家族、祖先が生きた多くの存在が層のようになっていて、その集合体で受け取り続けて今ここに存在しているのが私なんだという事を実感しました。 これを「在ること」というのかもしれません。

私が在ること。  = 生きていること。 どう在るのか。  = どう活きるのか。 在り方。  = 自分が自分であること。 = 在り方からの表現をする。  = 命を生きること。

命を生きることとは、 お互いにお互いの存在を尊重し、 その表現から伝わる心からの願いを誰かや誰かを通じて誰かが受け取っているそんな関係性だと思います。

こんな循環が佳いな。

(作成/認定講師オダギリ)

対談前に公開のnoteはコチラ ⇒ オダギリさんのnote

閲覧数:3回0件のコメント

最新記事

すべて表示

共感コラム(子供が病気になった!)

子育てしていて避けては通れぬ子どもの病気。 それはある日突然やってきては、保護者とその職場をを悩ませます。 共感は、自分の心を守ることにつながるんです。 …………………………… ある年の冬、低学年の子どもが朝から熱を出しました。...

Comments


bottom of page