【平和についての考察】共感コラム
- エンパシー協会 日本
- 9月23日
- 読了時間: 5分
更新日:10月4日

みなさん、平和について考えたことはありますか?
9月21日はピースデイといって、国連が定めた平和の日です。
2025年も、協会でもピースデイイベントとして平和に触れる会、平和を考える時間を設けました。
改めて平和について考えると難しさを感じます。
僕は以前、NVCの上級講座に参加した際に平和について考えるように宿題が出され、自分なりに深く考えたことがあります。
今読み返しても、気づきがあったり考えるキッカケになる文章なので「過去の平和についての考察文」をシェアしようと思います。
皆さんも是非、平和について考えてみてください。
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平和とは、概念上の言葉であり一人ひとり個人の中にある固有のものなのかなぁ。
何が平和で何が平和でないのかは個人によって全く違うことが難しさを感じさせている。
戦争がないこと犯罪がないことなどの目に見える暴力や、差別や格差、貧困など目に見えにくい暴力、または友達との喧嘩や夫婦でのいざこざなど日常に溢れるものに注目する人もいるかもしれない。言葉の使い方なのかもしれないよね。
そして、同時に平和的であろうとすることは暴力的なものを排除することと同じなのかなと。平和的・暴力的の解釈や幅や深さが違う中で、排除しようとする働きは、新たな暴力性をはらんでいるとも言える気がする。お互いの平和が衝突するという矛盾が常にそこに在るよね。否定的な言葉を使わないことを平和的とするグループと、意見と感情を分けて議論することを平和的とするグループが両方存在してもいいと思うし、共存できるとも思うけど、その中に対立や平和的ではない何かを感じる人もいるかもしれない。
憲法や法律、ルールやマナーはこれらを統一させて衝突が少なくなる、またはなくさせることを目的にしているんだと思うけど、これが全てうまく行けば確かに理想の平和は実現する。でも、今の世界では人の多様性の方が、ルールの統一化を上回っている気がしていて。国によって法律違うし、マナーも違う。同じ日本、同じ組織、同じ家族だったとしてもルール違反やお互いの認識のズレによる喧嘩や対立は起こってるよね。
また、すべてを認めていく、受容の先には自由の責任のもと、繋がりが薄れていくんじゃないか。私は私の考え、あなたはあなたの考え、違って当たり前だよね。違ってたら距離を置いたらいいんじゃない?という世界観。その世界観では何かを共に生み出すことは難しいしお互いのニーズを満たすことに労力を必要とする。結果、満たされない空気感が漂うことになる気がする。
統一化と、脱構築化のバランスを取ればいいという話でもないと思っていて。
平和的か暴力的か、その二元論でもない気がしていて。
何かを願うとき、そうじゃないものを減らす働きがこの世界にはあること。それが時に刃となりうること。それぞれが自身の中に平和的な喜びと(ある人にとっては)暴力的になり得る情熱を持っているという自覚を持ち続けること。
個人のスキルとして、豊かさを与えられる語彙と大多数の人が聞いて不快のない文章の使い方を身に着けていくこと。
文化の醸成として、自分達が平和的で在ろうとするとき、その平和の輪郭をハッキリさせ、そのための解決していく事象を決めること。平和的なものはあくまで概念でありひとりひとりの中に存在するものであるということをみんなが知っていること。
社会システムとして、過ちがあったときに加害者と被害者が距離を置き、それぞれがケアを受けられる機能があること。平和的や心のこと、文化を学ぶ教育体制が確立されていること。
今の時代に必要なことはそれらの要素なのかなと考えていて。
平和的・暴力的な二元論の世界観から、両方在ることを認めて、その中で一人ひとりがどう在りたいか、コミュニティとしてどう在るべきか、組織・国家としてどう在るべきかに向き合う姿勢があると嬉しい。(私にとっての平和はこれ、このコミュニティの中での平和はこれ、みたいな。)
常に平和的な形は変わるし、次の新しい平和的なものに取って変わられるのかもしれない。常に暫定的なものでしか存在できないものだし、そんな不完全なものだからこそ臨機応変で変化し続けられるもの。その不完全なまま変化し続けていくプロセスそのものが、俯瞰してみると完全なのかもなぁとも感じる。
人の思想、人の集合体は常に複雑化の方向に向かうと思っているから、平和の概念も複雑化するのかなと。
僕にとっての平和とは、自分の中にも相手の中にも暴力性があること(潜在的に持つエゴの暴力性と相手の捉え方によって暴力的と捉えられる暴力性の両方)を認識し、相手や誰かを傷つける行動や言葉を制御しながらリクエストに変えること。相手の暴力性の中にニーズを捉えて明るみに出すこと。それらを実践するコミュニティを拡大させていくこと。
そのために、ニーズを捉える心の感度を高めたいし体系的に学びたい。一人では実現できない、すぐには拡大できない、常に自分の在り方を振り返り続ける必要がある。そのあたりにも難しさを感じる(簡単ではないと感じる)。自分の感情に気付き、自分の心の奥底と場と繋がる体験を自分に与え続けたいなぁと思う。
(おわり)
最後までお読みくださりありがとうございました。
(せっちゃん/協会代表理事)
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